先日、私が働いている会社で役員の人か退職した。
理由は治療専念のため。
役員の中でも立場が上の人だったにもかかわらず、ちょくちょく様々な部署に顔を出していろんな人に声をかけている人という印象。
特に、私が所属する部署の責任者という立場だったこともあり、よく姿は拝見していた。
派遣社員という立場の私には、接点は無かったけれども、見るからに割腹の良い、刺しで向かい合って話してみたい、と感じる人だった。
ご本人からの退職のメールが全社員に来た日から退職の日まで、課内での準備がなかなかのものだった。
ひとり数千円の予算でプレゼントの準備。
それも上長が音頭をとり、普段の仕事はしているのか?というほどのレベル。
当日に至っては、役員室でのやりとりを全国と海外のあらゆる支店をつなげでのZoom中継。
横断幕やサプライズまで準備し、
コロナで自宅勤務の人もこの日とばかりは出社し、
それはそれは盛大なお見送りとなった。
私がこれまで働いてきた会社は、それはもう、
トップの人への信頼感ゼロの所ばかりだったので、
大きく一歩引いたところから見ていて、ただただ驚くばかり。
それ見て感じるところはみっつ。
その役員の方の人柄がそうさせているんだろうなぁと思うところがひとつ。
会社への愛があるってこういうことか、と思うところがふたつ。
利益の生み出さない時間への危機感が薄いと感じることがみっつ。
ひとつ目に関しては、先に書いた通り。
ふたつ目に関しては、ひとつ目とかぶるけど、
上層部と現場の間でうまくクッション的な役割をしてくれていた人なんだろうなぁと想像できる。
だから、身体を壊したんだろうけど。
みっつ目に関しては、冷たいかもしれないけど、
正直これで貴重な午前中潰してイイの?と言うのが正直な感想。
コロナの影響で会食など出来ないのはわかるけれども。
今日だけではなく、幹事で働いてる人は数週間前から
業務中もその合間にも(もしくは時間外に)その準備に追われる。
そう言う外部の業者がいたら任せれば良いのでは?と思ってしまう。
最後に。
クライマックスに社員の大半が外に出て
一斉にお見送りする場面で、
私の後ろにいた中途幹事社員の一言が忘れらられない。
「ここまでしてもらえるなんて、サラリーマン冥利に尽きるなぁ…」
働く場所が自分の居場所となってしまう
生き方ならば、
私はそんなのいらないかなぁと
思ってしまったのは
何か自分の中にビリーフがあるからなのかな。